初代藩主、前田利家公が金沢城に入城して間もない天正一三年・一五八三年、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、藩を守護する祈願所として建立したのが、妙立寺である。
利常公の頃には、徳川幕府の基礎固めは着々と整い、逆に全国諸大名はいつ改易になるかと戦々恐々。公儀穏密の動きに震え上がっていた。
こうした中、利常公は鼻毛を伸ばして馬鹿殿様を演じ、徳川家に対する謀反などとんでもないと幕府を安心させる。その一方で芸能文化を奨励、産業を育成し、またその反面、いざというときに備えとして兵舎がわりの寺院群を移築ないし新しく建立した。その中心に監視所―城でいう本丸―になるような建物が必要とあって、現在のT要塞Uのような当妙立寺が出来たわけである。したがって「出城」「祈願所」「忍者寺」いずれの呼称も当てはまる。
結局、戦火にあうこともなく、まさに加賀百万石の繁栄は利常公の知略の賜で、徳川幕府三百年の歩みとともに歴代の加賀藩主は当妙立寺を祈願所として崇め、家紋「剣梅鉢」を守ってきたのである。